【所在地】
■〒621-0035 京都府亀岡市稗田野町奥条大仲55

■電話   0771-23-3334
■住職  松原

■宗派  臨済宗東福寺派

■墓地情報 
墓地有り。 詳しくは、お電話でお問い合わせください。


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当寺は、臨済宗東福寺派に属し、山号は龍峰山(りゅうほうざん)と言います。
開山は、大通和尚で東福寺の春嶽令喜(しゅんがくれいき)の法を受け、虎関師○五世の法孫にあたる。
伊勢の朝熊山で虚空蔵菩薩のお告げを受けて娑婆山(さばやま)(後ろの山)に登り、
寺を開創した。時に、享徳元年(1452年)であった。
延徳元年(1489)開山遷化の後、華隠・学翁より彭叔・文坡と
代を重ね 寺境も整い、雲衲の集う道場となったが、
天正二年(1574)明智光秀の亀山城築城に際し、当寺の方丈を移築して城中の広間にしたと言い、慶長元年(1596)の地震で堂宇は全壊した。
これにより、雲衲の四散する中、文虎一人残って復興に尽くすが、
瑞賀なき後、衰微する。
寛永13年(1636)曹洞宗の僧、萬安英種が来山し、一時洞宗として栄えたが、萬安が
宇治の興聖寺に退くに及んで、又主宰者を欠くこととなる。
明暦2年(1656)東福寺の僧、見叟智徹が復興し、中興第一世となる。
後、弦外智逢・幹山師貞と学僧相継ぎ、臨済録瑞巌抄・元亨釈書便家・圜悟心要添足、等々の著書も残されている。
昭和35年(1960)大梅山法常寺末の唯心庵のあった現在地に総合移転した。
これに就いては中興12世則道・同13世広? 両和尚の尽力もさる事ながら、
檀越諸家の深い理解と協力あっての事である この現在地より裏山を登ること1300mの山頂近くの旧蹟は、開創以降500年に亘って、法燈を護って来た瑞巌寺を彷彿とさせるものがある。







 

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